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R makeup school(アール・メイクアップスクール)

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2025/04/24

自己紹介

Noteにプロフィールを書いたので、こちらでものせます。よければ読んでみてください。

 

1984年 大阪生まれ。

幼稚園まで天王寺でしたが、父親が子育ては自然の中でしたいと田舎の河内長野へ引っ越しました。

小3から電車で片道30分かけて塾に通い、中高一貫の進学校へ。
ずっとSSの特進クラスで、6年間唯一同じクラスだった友達は東大へ。

 

そこで僕が16歳の夏、父が癌で亡くなりました。そしてその亡くなるまでの1年間は、家の1室が病室になり、衰弱していく姿を見て、いつかみんな終わりがあり、人生はこんなにあっという間に終わるんだと、悲しみと同じぐらいの大きさで僕は驚きました。

そして本当に自分がしたい事をしたいと、ファッションの方面に行く事をしました。クラスで僕だけ大学に進学しなかったので、合格率100%を崩すなと怒られましたが。。

 

父は自分でブランドを立ち上げ、デザイナーをしてました。東京でも展示会をしたり、欧米にもよく行ってたので、その影響もありNYかパリに行くか迷いNYにしました。

それはその頃自分がゲイかもと気付き始めたり、母が韓国の在日だったので、NYの方が人種のるつぼで様々な人がいそうだし、好きだったVogueなどのファッション誌や音楽もNY産だったので、自分には合うと思ったからです。

 

単身渡米後は、英語は読み書きだけできたので、語学学校は(本当に)初日にこれは時間が勿体ないと辞めて、すぐマンハッタンの美容専門学校に転学しました。

お金もなかったので、平日の夕方、週末と毎日美容室と、撮影やショーのアシスタントの仕事で充実してました。

 

そこでヘアーアーティストのReikoさんと出会い、彼女はショーにNaomi Campbellがいれば必ず指名されたり、キアヌリーブスのカットをしてたり、ある時僕がサロンを抜けれなかったPVの撮影は、後日聞くとビヨンセだったとかすごい人なんですが、彼女と過ごす中で自分は日本に帰り活動した方がいいと思いました。

彼女は仏教も熱心に精進してて、自分のことよりも他の為にとの生き方に影響を受けて、母が日本に1人なので僕は帰国しました。

 

そしてそのまま東京にいき、NYの繋がりで、日本で1番有名な歌手とかも今も担当するヘアメイクさんを紹介してもらいました。

ちょうどその歌手の全米ツアーに発つ前日に彼と面会する予定でしたが、体調不良で彼の奥さんと会うことになり、僕はアシスタントにつくよりも、1人でしていく方がいいんじゃない?と言われ、結局そうすることにして、24才からトップのカメラマンやスタイリストと仕事するようになりました。

 

そして26才で今も有名な女優さん(S エリカさん)や、今芸能界は休止してる俳優さん(I ゆうすけさん)達とも仕事をするようになりました。

しかし、僕は当時テレビも家になかったぐらい芸能界には興味がなく、東京で仕事を続けるにはどうしても芸能人の仕事もしないといけないので、もっと僕にしかできないことで、人の役に立つ仕事をしたいと思い、美容専門学校に2年間かけて通える、時間、体力、お金の余裕が今ない人でも、メイクを学び美容部員さんになれるスクールをしたいと思いました。

そしてそれをするなら東京でなく、昔からお世話になってる人達が沢山いる大阪ですればいいと気付き、今に至ります。

 

コロナ禍から、デパコスの全てのブランドが、メイクスクールに通ったことがなくて、メイクができなくても採用するようになり、僕のスクールも一時経営の危機になりましたが、今は趣味で習いたい人が増えたり、プライベートのメイクレッスンや、Ace Hotel Kyotoでブライダルをしたり、商品も少し開発してるのでなんとかやれてます。

東京を出る際も、いくつか事務所から声をかけてもらい、これからメディアにも出たりして稼いでいけるよと言われましたが、とにかくテレビの世界が好きになれなかったし、有名になりたいわけでもなかったので後悔はないです。

きっと父の死がなかったら、国公立のどこかの大学→企業に入ってたと思います。

 

でもどんな選択をしようが、根本に自分だけでなく他人の為にも生きたいという思いがあれば、結果がどうなろうと、僕はこれでよしと思える自信があります。

メイク以外に他は何もできないので、自由に体が動かせる間は、1人でも多くベストなメイクを提案していきたいです。

拙い文章を読んでくださりありがとうございました^ ^

Ryota
photo by Hayato Takami from Ace Hotel Kyoto Weddings